――将来の夢、そしてその夢や現在の学びの場所を目指したきっかけは?
私は量子的な現象の発見、理解と実現を同時に行う研究を目標にしています。
量子論が始まってからここ120年ほどの間で、我々の世界に関する理解はその姿を大きく変えました。ミクロな世界では、場の量子論とよばれる理論により最も小さな粒子たちが定式化されています。場の量子論では、電子は「量子化」された「場(時間・空間的に広がりを持つ物理量)」によって記述される素粒子の一種であり、光も同様です。量子現象はマクロな世界でも観察されます。リニアモーターカーの運行を可能にする超伝導は、金属を冷やすと電気抵抗がゼロになるという現象です。これは一定温度以下では量子論によりうまく説明されており、量子現象がマクロな物理量として現れる例だと考えることができます。あるいはもっと実用的な話をすると、今みなさんがこの記事をご覧になる際に使われているデバイスのICチップには半導体が含まれています。半導体の電気的な性質は、電子の量子力学に従った運動により説明されます。
一方でこの分野では、高度化する理論と複雑化する実験により、伝統的に理論物理と実験物理の分業化が進む傾向にありました。例えば1950年台から70年台に花開いた素粒子物理学では、加速器で粒子を衝突させ散乱を観察する実験家(量子現象の「発見」)と、その結果をベースに統一的な場の量子論を構築する理論家(量子現象の「理解」)は、緊密な関係を保ちつつもお互いに仕事を分け合っていました。ところが近年、理論と実験の距離が縮まってきているように感じます。一つには、物性物理の分野で量子力学が十二分に力を発揮するようになったことがあります。物性物理とは日本語独特の表現で、その名の通りモノの性質を探索する物理を指します。一般には、素粒子や宇宙、核物理といった高エネルギー物理と対比して使われることが多いです。例えば上に述べたような、「金属によって電気的な性質が異なるのはなぜか?結晶構造が異なるのはなぜか?」「超伝導や半導体といった特異な性質はどこからやってくるのか?どのような物質を選べば観測できるのか?」といった質問に答えることを目標の一つにしています。この分野では、加速器ほど大掛かりな実験施設を作らなくても多くの人が自分の興味のある物質に注目して実験をし、理論と比較できる(量子現象の「発見」と「理解」)ことから、実験と理論の対話が活発になる傾向があります。もう一つの理由として、実験技術の発達により量子的な物理をヒトが制御できるようになったことがあると考えています。例えば、レーザーに代表される光の制御技術は、物質に光を当てることで我々が注目している粒子の量子力学的な状態を変化させたり、その粒子が今持っているエネルギーの値を正確に読み取ったりすることを可能にしてくれます。現在注目を集めている量子コンピュータはその際たる例で、量子を自由に操り、読み取ることが可能であるからこそ実現への期待が高まっているわけです。この実験技術の発達は、量子現象の「発見」と「理解」に加えて、現象の「実現」を可能にしてくれました。例えば、ある物質の結晶構造中を電子がどう運動するか、知りたいとします。これまでは、その物質を実際に持ってきて有意な結果が得られそうな物理量(電気抵抗など)を測定するか、モデルを立てて方程式を解いてみるという方法がありました。我々は今、第三の方法を持っています。それは、物質自身をもっと扱いやすい物質に書き直してしまって、その書き直された物質中で、物理量をより簡単に測定する、というモノです。例えば金属であれば、実際に金属を用意するのではなくて、金属原子を格子状に並べて金属結晶に見立て、より我々が手出しのしやすい環境で観測を行うことができるようになりました。これは量子現象の「実現」の一つです。あるいは素粒子の分野でも、粒子をぶつけて確率的に起こる現象を待つのではなく、同じ機構により引き起こされる現象をテーブルトップ(実験机の上でできるような、の意味)の実験で「実現」することが可能になりました。これについては例えば元奨学生の澤岡さんのレポートに詳しい解説があると思います。
量子の物理を探索する分野では、現象の発見・理解・実現がより一個人の手に”負える”範囲で発展しているように感じています。それは、前世紀の伝統的な物理とは異なる、理論と実験が融合した研究というトレンドを作るであろうと考えています。そして、そのような研究が物理を基礎研究でも、応用の面でも発展させていくだろうと信じています。そのような物理に純粋に面白さを感じることが、私がこの分野で勉強を続けるきっかけであり、日々のモチベーションにもなっています。私の目標は、理論を作ることと実験を作ることの両方を自分で行う物理を開拓することです。
現在私はハーバード大学で物理を勉強しています。実は、私が上記のような物理に興味を持ったことには、ハーバードの環境が大きく貢献しています。ハーバードの物理学科にはAMO(原子分子光学物理)の分野で量子的な現象を研究している著名な教員が多く、また同じグループに理論家と実験家の両方が在籍する研究室が複数存在するなど、上に述べたような私の目標とする研究スタイルが受け入れられています。ハーバードに入学したきっかけは、いくつかあるものの根本的には「面白そうだから」というぼんやりした理由でしたが、結果として理想の学習・研究環境と、集中して取り組めるテーマを見つけることができました。
――日常生活、生活環境について
ハーバードの学部生はほぼ全員が寮で生活しています。平日は講義が1日1コマ(75分)程度あります。講義の量自体は日本の大学と比べると少ないですが、その分課題の量が多いという特徴があります。また、その課題を完成させるためのオフィスアワーが週2〜3時間程度存在し、例えば平均的なハーバードの学部生のように1学期で4つの講義をとると、かなりの時間を学業に拘束されることになります。私は基本的に修士学生向けの講義をとっており、学部生の講義と比べると課題の量は少なめです。1日のスケジュールは以下のようになります。朝起きて物理棟の中にある研究室の居室に向かいます。午前中の方が午後よりも生産性が高くなる性格なので、午前は講義を入れないようにしています。研究室での実験・計算か、締め切りが近い課題を仕上げることに専念します。午後もやることは同じですが、それに加えて講義とオフィスアワーへの参加が入ります。夕食後も夜9〜10時ごろまでは研究室での作業があり、それが終わると明日に備えて寝る、という日々を過ごしています。休日は、講義がない以外は平日と同じスケジュールです。講義の代わりに、友人たちと集まって課題を一気にこなす時間をとることが多いです。 以上に加えて、週1回のペースで日本の学生たちとオンラインゼミを開くこともあります。
上記のように毎日がキャンパス内部で完結するため、海外で生活しているという感覚は特段ありませんが、日常生活で注意していることとして、体力維持があります。小さい頃から持久力が強みで、それが現在の勉強・研究生活を支えているという実感があるので、毎日長距離を走るなど身体的な持久力の維持に努めています。
生活環境について、ボストンは大学が多いので既に複数の奨学生の方が言及されているとは思いますが、ハーバード周辺を紹介したいと思います。ハーバード大学のメインキャンパスはボストン市街から離れたケンブリッジという街にあり、キャンパスの面積はそこまで大きくありません。南側のハーバード・スクエアとよばれるエリアにはお店がずらっと並んでいて、ミールプランに飽きてきた学部生や、我々と比べて比較的裕福な大学院生は昼夜の食事をそこで済ますことができます。この場所は年中観光客が訪れ、賑やかです。さらに南に進むとチャールズ側があり、朝夕のランニングの際に非常に綺麗な景色を見せてくれます。大学には豊富なコレクションを持つ美術館があり、学部生は無料で訪れることができます。もう少し華やかな生活を送りたい場合は、ボストン市街に出ることになります。ハーバードからは電車一本20分程度で中心部に到着します。ボストンはアメリカの中でも比較的大きな都市で、無印良品やユニクロ、日本食店はじめ大体のものは揃っています。治安も総じて良く、毎日安定した生活を送ることができています。
――夢の達成に向けて、日々取り組んでいることや気を付けていること
気をつけていることとして、学生や研究者とのコミュニケーションがあります。勉強は特に意識しなくても毎日一人でこなしていけるものですが、同じ分野で研究に取り組んでいる人たちとの会話は、自分から積極的に参加していかないと発生しません。物性や光学分野は特に近年発展が著しく、またテーマも多彩であることから、セミナーに出席したり他のグループのミーティングに参加したりすることで知識をインプット・アウトプットしていくことが重要であると感じています。個人的にはアメリカの大学はこのような交流が盛んで、それが強みの一つであると考えています。
――これから更に挑戦したいことや、1年間の抱負
次の1年は、現在取り組んでいる研究を可能な限り進展させたいと考えています。自分がその時々で興味を持ったテーマをとことん考え抜きたいので、あえて具体的なゴールは設定していません。その代わり、1週間単位で「この問題に答えを与える」「この実験に工夫を加えてみる」など短期目標を立てて、小さなステップを積み重ねていきたいです。現在複数のプロジェクトに理論・実験の両方から取り組んでおり、どれも実現すればかなり革新的な結果が得られることが期待されています。来年の夏までには、今の自分が見てあっと驚くような結果を得ることを理想のビジョンとして、引き続き研究に励みます。