江副記念リクルート財団学術部門第48期奨学生の原田光遥です。この度、オックスフォード大学大学院オンコロジー学博士課程を修了し、卒業する運びとなりました。自分の知的好奇心を追求する4年半は山あり谷ありの長い旅のようで、そんな旅路の一歩一歩を財団にご支援していただいたことは、感謝してもしきれないことと受け止めています。本レポートでは、定例レポートで書ききれなかった「論文執筆から卒業口頭試問まで」の流れを中心に自分の博士課程の研究生活を振り返ってみたいと思います。
縁あって日本の公立高校からイギリスの高校に留学するチャンスをいただいた私は、ケンブリッジ大学の自然科学学部に進学し、学士過程を修了しました。いくつか進路の中から、「より直接的に研究に携わることのできる場所で修士課程に取り組んでみたい」という理由で、現在のオックスフォード大学のオンコロジー(腫瘍学)学部の研究室でリサーチマスターと呼ばれる修士課程を開始しました。1年次途中にありがたいことに江副記念リクルート財団からのご支援をいただくことになり、また担当教授からの進言もあって、二年次から編入する形で博士課程に進学することになりました。
私が所属していた研究室では、「細胞周期」と呼ばれる細胞が増殖する際におこるプロセスで重要な役割を果たしているE2F1という転写因子を中心に研究が行われていました。細胞学という知的好奇心をくすぐる面白さと、基礎研究でありながらがん治療への応用性の見えやすさの双方にやりがいを感じ、自分の研究テーマであったエピジェネティクスやRNAスプライシングといった別の生命現象・細胞内活動とのリンクを解明すべく、5年間に渡って様々な実験を行ってきました。もちろんすべての物事が順調に進んだわけではありません。2年次の途中、RNAシークエンスという大きな実験および解析を行い、「さあこれからそのデータを使って新しい実験をやっていくぞ」というタイミングで、新型コロナウイルスのパンデミックが発生しました。世界的な影響をあたえたこの疫病ですが、もちろんイギリスも例外ではなく、私の研究室があった大学の研究所は約半年にわたり完全に閉鎖、その後約1年ほども人数制限によるシフト制が導入され実験時間が半分になってしまいました。ほぼすべての実験がウェットラボ(研究室で実際に細胞等を使って行う実験)ベースでデータを取る必要のあった自分のプロジェクトはその分だけ影響を受け、本来想定していた期間より長い時間を卒業までに費やすことになってしまいました。パンデミックがなければ、もっと早く卒業できたのではないか、もっとたくさんの実験データを得て良い論文が出せたのではないかという思いは今でもぬぐえません。しかしながら、研究室閉鎖期間に執筆した内容が後にレビュー論文として発表されたり、同じ期間に勉強したR言語を用いたコーディングがRNAシークエンス解析や後述するその後の就職活動に活きたりと、得るものがゼロではなかったこともまた事実です。怪我の功名で身に着けた、英語でいうところの「resilience(直訳すると回復力)」を今後の人生で有効活用していきたいと思います。
「卒業」の二文字がちらついてくる最終学年在籍時は、必要な実験を終わらせるとともに、卒業論文の執筆も同時並行で進めることになり、心身ともに非常にストレスのたまる期間となりました。朝起きて午前中は机に向かい、昼食後は研究室で実験をするも、結局やるべきことが終わらず帰宅は日が変わる直前になるような生活が最後の数か月は続いていました。それでも仲の良い友人たちや研究室の同僚からのサポート、自分なりに編み出したストレス解消法(出不精の私からしたら信じられませんが、オックスフォードを流れているテムズ川の畔を走ることが一番の薬でした!)などを支えに何とか乗り切ることができました。忘れてはならないのが、江副記念リクルート財団の定例レポートでした。他の財団生も同じように頑張っているんだというのが毎月送られてくるレポートから垣間見え、負けたくないとの思いから歯を食いしばってやりきることができました。
後ろ髪をひかれつつも実験には見切りをつけ、卒業論文の執筆に専念しはじめたのが2022年末だったと記憶しています。最初はコロナ禍によるデータ不足を心配していましたが、むしろ書くことが非常に多く、最終的には教授による校正なども含めるとそこから3~4か月ほどかかり、ページ数も300ページ弱になりました。この期間に非常に感じたのは、改めてデータたちをひとつの論文にまとめると、「やっておけばよかった」と思う実験がたくさん出てくるところです。大局を見て、俯瞰的に今自分がいる場所を眺めるというのは、この先の自分の研究生活でも大事にしていきたい気づきですし、後輩の皆様の中で博士課程の研究を行っている方は、たとえ不完全なものであっても、早い段階から卒業論文の執筆を始めてみるといいのではないかと思います。
オックスフォード大学博士課程では、卒業論文提出後に、大学内外の教授など二人が試験官となって口頭試問が行われ、その結果によって修了が決まります。2023年4月に卒業論文を提出した私ですが、試験官のスケジュールが中々調節できず、最終的にはオンラインで9月に行われることになりました。形式上ではありますが、本来の口頭試問のようにスーツの上にガウンを羽織り、白い蝶ネクタイを締めて、ビデオ会議のような形で行われた口頭試問に臨みました。長い時間をかけ執筆した自分の卒業論文なので、良いところも、粗も、すべてわかっています。自分の何倍もの研究実績をもつ教授陣からしたらそんな粗など明白であるはずで、送られてきたビデオ会議のリンクをクリックする手が震えたのを覚えています。しかしながら、最初に伝えられたのは、「もうこれ以上実験をすることができないのはわかっているから、足りない実験やデータに対して文句を言うことはしない」ということ。そして、「これは試験ではなく、あなたがサイエンティストとして1人前かを判断するディスカッションのようなものだよ」ということでした。実際に、トピックについて突っ込まれた質問はあれども、内容を否定されるようなことを尋ねられることはありませんでした。その代わりに、もし振り返ったらどういう実験をするか・どう既存の実験を変えるか、そして今後チャンスがあれば追加したかった実験など、ひとりの科学者としての研究テーマへの向き合い方を問われる質問を多く聞かれました。話しながら、5年間の科学者としての積み重ね・成長を自分に感じつつ、気づいたら3時間近くが経過していました。試験の最後に、口頭試問内で話した内容を論文に反映することと、博士課程の修了を告げられ、「Congratulations, Dr Harada!」と言われたときには、ほっとしたような、かといってあっけなかったような、様々な気持ちが湧き出てきて呆然としてしまったことを覚えています。とにかく、自分のオックスフォードでの博士課程は、ここで幕を閉じることとなりました。
博士課程を始める前には、「がんの治療法に繋がる糸口を見つける」・「有名雑誌に論文を発表する」と息巻いていましたが、在学中に発表した論文や今現在執筆中のものを見ても、俗にいうCellやNatureといった有名雑誌に論文を発表するという夢はかないませんでした。しかしながら、他分野に比べて時間のかかる細胞やマウスなどを用いた生物学という分野で、コロナ禍の中でも実験を粘り強く続け論文発表や卒業にこぎ着けたこと、また定例レポートで報告させていただいたように、イギリス国内で行われた国際学会でのポスター発表などを通して新進気鋭の研究者の方々と交流できたことは、自分自身の成長につながったと思います。縁あって2024年2月より、英国スコットランドのエジンバラ大学のMRC Human Genetics Unitで、ポスドク研究員として初志貫徹研究の道に進むことが決まりました。また基礎研究とよばれるフィールドで、DNAの「ねじれ」などを研究することが決まっています。博士課程では、知識や実験技術だけでなく、燃え尽きないように心身の健康を保ちつつ研究へ向き合っていくペース配分など、本当に多くのことを学びましたが、それと同時に論文執筆や、学会発表という目に見える結果が大切であることも痛感しました。学生という守られる立場ではなくなった今、より結果にこだわって、また知的好奇心や初心を忘れず、さらに成長していきたいと思っています。
偉そうに言えることは何もありませんが、良い機会でもありますので、博士課程向けではありますが、後輩へのアドバイスもここにいくつか書き留めておこうと思います。まずは先述のとおり、早めから卒業論文の執筆に着手すること。これが具体的に、自分の実験の方向性やテーマの大局を見つめなおすことに繋がり、結果としてよい研究へと導いてくれると思います。二つ目は、研究室選びを行っている学部生に向けてですが、テーマだけでなく研究室や教授の雰囲気・直近の実績などにも目を向けること。自分は担当教官がどちらかというと学生を放置する人で、その分自主性を持って研究計画を組み立てる力は十二分に養うことができましたが、それを身に着ける前の初年度・二年目に迷走した時間が少し長すぎたと振り返ると感じます。今の研究室を選んだことを後悔はしていませんし、この自主性は今後のキャリアのなかで必要になってくるものだと思っていますが、一方である程度のガイダンスは良い結果に繋がりますし、それがキャリアの選択肢を増やしてくれることもあると思います。良い塩梅の研究室を外から判断するのは難しいので、インターン等を活用して空気を直接感じに行くのが良いと思います。三つ目は、人との関わりを大事にすること。私は、就職活動の際にたまたま興味をもって応募した研究室の教授が、私のオックスフォード大の教授の顔見知りだということが面接後に判明して、「間違いない実績の人なので、良い選択だと思う」と言っていただいたことが今回の進路選択に大きく影響しました。また、学会で出会った教授に口頭試問の試験官になっていただき、有意義なアドバイスを頂きました。今後ポスドクを経てアカデミアに残るにしても製薬企業などインダストリーに行くとしても、このような繋がりは大切にしたいですし、もし後輩の皆様がそのような心当たりがあれば、そのつながりを大切にしていただきたいなと思います。最後に、ペース配分を意識すること。博士課程は長丁場で、マラソンのような持久力が求められることが多いです。自分はどちらかというと短期集中型だったので、息切れして少し間延びしたり、逆に詰め込みすぎてパンクしそうになることが幾度かありました。自分なりの切り替え方法を見つけたり、友人や家族との時間を大切にすることは、決して無駄でも遠回りでもなく、最終的には自分の研究の結果にもつながってくることだと思いますので、適度にリラックスして取り組むことも忘れないでほしいです。
最後になりますが、長くに渡り温かいご支援をいただいた江副記念リクルート財団の皆様に、改めて感謝申し上げます。今回就職活動を経て、自分がいただいてきた経済的な援助がいかに途方もなく大きなものであるかを、改めて実感しました。また、同世代の日本の若者たちが海外に出て勉学のみならず幅広い分野で頑張っているという事実を肌で感じられたことは、自分自身のモチベーションにつながりましたし、また支えにもなりました。総会でたまたま知り合った数人で、お笑い芸人のラジオという共通の趣味を通じてその後も交流したりと、良い思い出もたくさんあります。ただひとつ今でも残念だったことは、パンデミックで中止となってしまった事務局の皆様のイギリス訪問です。非常に楽しみにしておりましたし、自分はまたイギリスに戻ることが決まりましたので、将来再計画がなされることがあれば、OBとしてお声掛けいただければ嬉しく思います。財団奨学生としてのレポートはこれで最後となりますが、これからも自分の夢を追って研究にまい進していく所存ですので、応援していただければ幸いです。本当にありがとうございました。