2024/07/31

久野 凌 卒業レポート

2024/07/31

久野凌

久野 凌 Ryo Kuno

既存の化学と並行してデザイン学を追求することで、次世代の産業を牽引する超分子材料に関する、3Dモデルを利用した分子設計や化学反応シミュレータの開発に貢献したいです。現代技術の結晶であるコンピュータを駆使して、量子化学的見…

学術部門48回生の久野 凌です。この度、インペリアル・カレッジ・ロンドン自然科学部化学科修士課程化学・分子物理学専攻を無事卒業いたしました。

学部入学時、私は「3Dモデルを利用した分子設計・化学反応シミュレータの開発に貢献する」という目標を掲げていました。学部4年目で、「振動分析を用いた分子吸光・放射のモデリング」という題で、理論計算と実験・宇宙放射の観測結果を照らし合わせながら、修士研究を修了した結果、応用先は宇宙物理という、材料・再生可能エネルギー分野から少し異なるものだったものの、シミュレーション技術の開発の一助になったのではないかと考えております。ここで身につけた見地は、今後同大学の博士課程に進学するにあたり、再生可能エネルギー分野、材料科学分野において直接応用できるものです。

修士研究を行ったBearpark研究室のメンバー。左から3番目がMichael J. Bearpark教授。

理論・物理化学、とりわけ計算化学理論の専攻を目指し4年間勉強し、理論を研究するということの難しさを実感しました。応用先が明確かつ手を動かすことで着実に成果を出すことの出来る有機・生物化学などの実験中心の分野とは異なり、直観的な理解とそれを演繹的に証明すること、また、物理的な直観や数学的手法を用いて必要な時には計算精度と効率の取捨選択をするなど、とにかく何を勉強しても最前線に追いつくまでの道のりが遠いと感じました。また、理論を理解してからも、それをPythonJuliaFortranなどのプログラミング言語を使って計算できる形に落とし込むことも複雑で、4年勉強してようやく、少しだけ新しい理論を使って今まで知られていなかったことを少しだけ知ることができる、という具合です。今回の修士研究では、化学科計算化学分野ベアパーク研究室マイケル・ベアパーク教授の指導のもと、量子化学計算ソフトウェア「Gaussian16」の振動分析ソフトウェアで、フランク・コンドン近似への補正であるヘルツベルグ・テラー項を追加し、多環芳香族炭化水素と呼ばれる分子群のエネルギーやスペクトル(その分子に光を当てた時の反応、影のようなもの)を計算し、1986年に回帰したハレー彗星の観測データを筆頭に、さまざまな観測・実験結果と照らし合わせることで、ハレー彗星中の分子アントラセン(C14H10)の存在を証明することができました。計算を用いたハレー彗星内のアントラセンの存在証明は今回の研究が世界初です。宇宙物理学という観点で見れば、とんでもなく大きい未知の領域のごく小さな点を新しく解明するような小さい発見ですが、他の分子の例を合わせると、理論の補正が有効であるということ自体の証明にもなっており、量子化学という観点では一定の成果であると評価されました。その結果、修士論文は最高評価のAとなりました。新型コロナウイルス感染症の世界的流行から、体調の不良や家族の不幸など、紆余曲折ありましたが、このような目に見える形で微力ながらもサイエンスの発展に貢献することができたのは、素直に嬉しかったです。

また、この研究に至るまでに、1年次から着々と積み上げてきた量子論の勉強も成果の一つだと考えます。2年次までは、特に数学を必要としない学生との護送船団方式での学びだったことや、新型コロナウイルス感染症の影響で、学部4年間全てがオンライン授業だったため、分子物理学を満足に学習できず、様々なところで実力不足を痛感しました。少しずつでも前に進むため、量子コンピュータのベンチャー企業株式会社QunaSysにて、1年次からインターンとして経験を積み、独学で勉強を進めていきました。現在は研究インターンとして同企業にて量子選択配置間相互作用法と呼ばれる理論の研究補助をしており、博士課程進学後には量子コンピュータと量子化学のどちらにも理解が深い研究者になれたらと考えております。

計算を用いたハレー彗星内のアントラセン分子の存在証明:青線が補正項なしの計算、橙線が補正項を2次まで含んだ計算、上部の黒線は1986年のハレー彗星の観測結果、下部の黒線はアントラセン分子の実験結果。この分子において、計算を宇宙空間の観測結果と照らし合わせるのは世界初。

2023年、3年次の夏季休暇期間には、大学の学部研究参画プログラムに選抜され、人生で初めて私自身が主導の研究を行うことが出来ました。機械学習やニューラルネットワークについてもっと勉強するため、23年後期に社会実装がされた大規模言語モデル(ChatGPTなど)の理論化学への応用を目指す研究を行いました。ここで、化学科物理化学分野フロスト研究室ジャーヴィス・フロスト先生のもと、ニューラルネットワークについて学ぶとともに、GPU(グラフィックス処理装置)を用いた並列計算の基礎や、GitHubを用いたバージョンコントロール、Pythonのオブジェクト指向プログラミングや、VimBashなど、今後計算化学を行うにおいて一生使っていくであろうスキルを身につけることができました。とりわけ、これまでビデオゲームの3Dモデルの陰影などに特化して使われていたGPUを汎用計算に使えるようになったことが、近年の人工知能ブーム、暗号通貨の採掘や量子化学計算の進歩の根底にあったと知れたため、技術を見る視点を変えることの重要性に気付かされる貴重な経験となりました。

また、ロンドンにいる大学生としては珍しく、私は学生生活の4年間全てをインペリアル・カレッジの学生寮であるパーソンズハウスで過ごしました。初年度はコロナ禍の影響や、盲腸炎による海外でたった一人での人生初の手術、孤独などが伴い半ばうつ状態でしたが、同居人に恵まれたことで、乗り切ることが出来ました。この際に、一人でないことが如何に大切であるかに気づき、せめて自分の手が届く範囲では誰も取り残されないような環境を作りたいと強く思うようになりました。そのため、2年次以降は同学生寮の監督生となり、交流イベントを頻繁に開催したり、輪の中心となり各々の生徒にコンタクトを取ることでコロナ禍の制限の中でも、大学寮の中で生徒の満足度が一番高いコミュニティを築き上げることができました。科学、とりわけ理論研究は、夜な夜な一人でパソコンや本と向き合うことが多く、孤独な環境を抱え込んでしまうことが知られていますが、こういった経験を通じて、周りを巻き込みながら戦うことで、これから、良いロールモデルとして研究ができたらと考えております。

進路を確定するのにかなりギリギリまでマサチューセッツ工科大学、オックスフォード大学、スタンフォード大学など、様々な大学院を見てきたのですが、23年の夏季研究でお世話になったフロスト先生の研究室の研究が世界で唯一のものであり、かつ、見てきた中では一番挑戦するべき研究であると感じたため、インペリアル・カレッジ・ロンドン大学院自然科学部化学科博士研究課程に進学いたします。経路積分法というリチャード・ファインマンによって提唱された量子力学の枠組みを使って、再生可能エネルギー分野、とりわけバッテリー分野において、ポラロン系と呼ばれる準粒子の群をモデリングする研究を行う予定です。インペリアル・カレッジは特に、2025年時点で世界ランキング2位の研究力を持ち、かつ、高性能コンピュータクラスタのリソース量であれば、イギリスの国立コンピュータへのアクセスを許可されることもあって、実質この分野では世界首位の量子化学計算研究の拠点となっております。現時点で変分法と経路積分法を組み合わせた準粒子群のパッケージはフロスト研究室だけの世界唯一のもののため、時間をかけながら理論をしっかり身につけ、この分野において現在日本唯一の研究者となるため、着実に準備を進めていきたいと身が引き締まる思いです。

夏季研究でお世話になったFrost研究室の(一部)メンバー。右端がJarvist Moore Frost先生。

 

最後に、これから留学を志そうと思っている方々に向けて、人のためになる研究がしたいと思うこと、目に見える結果や研究成果を夢を見て大学・大学院に進むことは大変素晴らしいことであると思います。もちろん、現地の言葉で会話が出来て、たくさんの人と交流することができると、視野が爆発的に広がるかも知れませんし、理系の場合は数学がとても出来るから人より先に物事が分かり、得をする人もいるかも知れません。それでも私は、どんなに突出した才能や能力というものがなくとも、ただ知りたいという知的好奇心だけに囚われて、わからなくても答えを追い求め、もがき続けるような人が居ても構わないと思います。江副記念リクルート財団は、そういった基礎研究の最前線に向かおうと歩み続ける学生を応援してくださる財団ですし、大学、財団内外でさまざまな先生や先輩方に出会い、いつでも一番感銘を受けるのは、その分野とその人たちが自然界や理論に答えを求めることに対してどれだけ真摯に向き合っているかです。

私の博士研究の対象である、経路積分法の理論を創設したリチャード・ファインマンはこう残しています。

“There is no special miracle, talent, ability to understand quantum mechanics or to imagine electromagnetic fields that comes without practice in reading and learning and study, so if you say, you take an ordinary person who is willing to devote a great deal of time and study and work and thinking and mathematics, then he has become a scientist.

(以下意訳)

「量子力学を理解したり、電磁場を想像するのに奇跡や特別な才能、超能力、まあ、なんでもいいですが、読書や練習、勉強をせずに通れる近道はありません。つまり、逆に言うと、どんなに普通の人でも、勉強、努力、思慮を欠かさず、数学の理解に気の遠くなるような時間を割くことで、ようやく初めて科学者になったと言えるのです。」

ファインマンや家族、友人や先生方に胸を張って「僕は科学者になった」と言えるよう、大学院で更なる研鑽を重ねていきます。ありがとうございました。

https://matt.might.net/articles/phd-school-in-pictures/