2024/10/07

パリ2024オリンピック 飯村一輝選手団体決勝戦観戦レポート&ボランティア体験談

2024/10/07

学術部門48回生筧路加です。2024年夏に開かれたパリ2024オリンピックにてボランティアとして1ヶ月活動しました。また、スポーツ部門52回生 飯村一輝選手が金メダルを獲得したフェンシングフルーレ団体決勝戦を観戦したので、体験レポートを執筆させて頂きます。
 

ー飯村選手 決勝観戦レポート

今年、2024年6月に飯村選手にインタビューをする機会を与えて頂きました。飯村選手の競技に向かう姿勢に感銘し、またフェンシングの魅力を生で体験したいと思い、パリオリンピックで観戦することに決めました。

試合は、パリ中心部にあるグラン・パレにて行われました。グラン・パレは普段はイベント会場や美術館として使用されており、ガラスを使用した外観の美しさは圧巻です。オリンピック用の装飾と相まって、今回のオリンピックで使用された数多くの会場の中でも一番美しい場所だったのではと思います。


美しいのは外観だけではありません。会場の中は広い天井に加え美しいライトアップがされており、試合会場にいることを一瞬忘れてしまうような空間でした。



フェンシング団体戦は全部で9ラウンドあり、3分間で5ポイント先取を1ラウンドとします。45ポイントを先取したチームの勝利です。決勝戦に先駆けて、アメリカ vs フランスの3位決定戦が行われました。開催国のフランス戦とあって会場は大盛り上がり。Allez!というフランス語の大声援が力となったのか、32-45で銅メダルマッチはフランスに軍配が上がりました。

そしていよいよ決勝戦。相手は強豪イタリアです。少しでも応援パワーを届けられるように、日の丸柄の浴衣、鉢巻、国旗を持って臨みました。


1試合目の敷根崇裕選手が5-3とリードし、幸先の良い流れでいよいよ飯村選手の登場です。メダル決定戦の醍醐味は、会場の中で試合が1つしか行われないこと。会場の視線を一身に集めながら、試合が始まりました。1ポイント取るごとに歓声が沸き、エールを送ります。リードをそのままに飯村選手が5ポイント取り、10-7になりました。終わった後左手で力強くガッツポーズをし、仲間を鼓舞するかのように力強くハイタッチをしている姿が印象的でした。

飯村選手の試合時の様子



次にキャプテン松山恭助選手が登場し、終わった時点で15-14。緊迫の接戦が続く中、続く第4試合で18-20と逆転されてしまいました。得点差そのままに23-25となって迎えた第6試合、飯村選手の再登場です。ポイントを取るごとに歓声をあげ、食い入るよう
に応援します。結果、30-28と見事逆転をしました!


第8試合には財団卒業生の永野雄大選手が登場し、なんと5ポイント連取!最高の流れで、いよいよ最終ラウンド。アンカーを務めるのは飯村選手です。

このラウンドでメダルの色が決まるのかと思うと、ドキドキが止まりません。緊張・重圧は計り知れないものかと思いますが、必死に応援を送ります。会場の反対側からも、日の丸の旗や日本語の声援が聞こえます。

そして結果は… 45-36で飯村選手が勝利、男子フルーレ団体日本初の金メダルを獲得しました!決まった瞬間飯村選手はマスクを投げ捨て、会場の喝采を全身に受け止めていました。対戦相手との握手、抱擁の後、チームメイトと抱き合って勝利を喜んでいました。

表彰式の様子

今まで数え切れないほどスポーツの試合を観戦して来ましたが、自然に涙が出たのは今回が初めてでした。フェンシング発祥国のフランスの地で日本が金メダルを取るという偉大な歴史を作った飯村選手には尊敬の念しかありません。勝利を決めた最後のポイントは、身長が高い相手選手の懐に飛び込むドゥスアタックでした。身長差をカバーするために飯村選手が身につけてきた得意技で試合を決め、今までの努力の結晶がこの結果なのだなとしみじみと思いました。
インタビューの際飯村選手は”自分が金メダリストにふさわしいのかどうか”をオリンピックに問いに行きたいとおっしゃっていました。最高の結果が出た今、今回のオリンピックが飯村選手にとってどのような大会だったのかぜひ伺ってみたいです。欧州の力に負けず日本が金メダルを獲得したこと、そして同じ財団生の飯村選手が大活躍されたこと。日本人として、そして江副記念リクルート財団生として私も頑張ろうというパワーをもらえました。飯村選手、感動をありがとうございました!


ーボランティア体験談 選手村での活動、開会式での日本チームとの乗船

今回の私のボランティアの役割は、NOC (National Olympic Committee) Assistantとして選手村で各国の選手団のサポートをすることでした。
選手村には各国の選手が住むアパートに加え、選手・ボランティア用の食堂、ジム、病院、選手用のヘアサロンなどなどがあり、村という名にふさわしく広大なスペースでした。選手、ボランティア、スタッフ、メディア関係者など日々沢山の人々が行き交い、現実世界ではないような、パワーに溢れた空間でした。


選手村の様子


選手村のアパートの様子

私が担当したのはラトビア選手団。選手の数は30人ほどと小さな規模ですが、東京オリンピックでは3×3 バスケットボールで金メダルを獲得するなど強豪国でもあります。主な仕事内容は、選手が宿泊するアパートの管理でした。入村する前に各部屋を周り異常が無いかチェックをしたり、ラトビアの旗の飾り付けをしたり、団長とのミーティングを通して選手のサポートをしたりしました。同じチームのボランティアはフランス人、ブラジル人、ラトビア人。年が近いこともあり仲良くなり、私は今年の誕生日をパリで迎えたのですが、皆でパリのカラオケに行きました!


ラトビアのオフィスの様子


選手村での五輪マークにて

ラトビアの仕事が落ち着いた時には日本の選手団のお手伝いもしました。日本は人数が大変多く、選手の入村時、退村時の荷物の運搬の手伝いを行いました。
NOCの半数ほどが開会式の際に乗船する役割を与えられ、私は日本の船の担当になりました!仕事内容は旗手のサポート、選手が乗船する際に旗や食事の配布、下船後の片付け等でした。船の上では財団卒業生の東晟良選手、森ひかる選手に声をかけて頂きました!船から上を見上げると橋の上から満員の人々が歓声を送っていたり、セーヌ川沿いのマンションでは住人たちが飾り付けをして手を降っていたり、船上から見た光景は一生忘れられないものでした。





今回のボランティアを通して強く感じたことは、一瞬に全てをかける選手たちの気持ちの強さです。選手村での活動中には、メダルをかけて歩く選手、試合が既に終了し帰っていく選手たちなど様々な方を見かけました。前回のオリンピックから数年間の努力が今回の1試合で決まるという事実の重さをひしひしと感じる毎日でした。世界の大舞台で全力を出し切る選手たちの姿を間近で観て、私も頑張ろうという気持ちになれた1ヶ月間でした。



選手村では飯村選手をはじめ、財団卒業生の選手皆さんにもお会いすることが出来ました!

52回生 飯村一輝選手


財団卒業生 45回生 東晟良選手



財団卒業生 48回生 加納虹輝選手


財団卒業生 46回生 北口榛花選手