石原 : 私はお二人のことをまだ深く知らないので、この議論が妥当かはわからないのですが、やはり20年間日本に育って、日本語を第一言語として生きていると、日本語からは逃れられないものもありますよね。私もヴァージニアウルフの『自分ひとりの部屋』が大好きで、英語の原著も手にとって見たのですが、日本語の方が「わかる」とか思ってしまうんですよ。で、いつになったら日本語と同じように他言語を感じられるようになるんだろうとか思うんですが。でも私が大好きなエピソードの1つに、スーザンソンタグについてのものがあって。ソンタグは10代の頃からフランス語を習っていて、フランス語で流暢にインタビューに答えるぐらいフランス語が堪能なんですが、著書の参考文献を見ると多くの本を原著ではなく英語訳で読んでいるんです。ソンタグですら、自分のオリジナルの言語で読んでるんだなと思って、この「逃げられない自分の言語」の存在を、改めて再確認しました。でも日本でばかり本を読んでたら実は騙されているみたいなこともありますし、他言語を学ぶことはもちろん重要なんですが。
増田 : そうですね、相反した思いがそこにはありますよね。確かに私も他言語を学ぶことはもちろん重要だとは思いつつ、でもどうしても私にとって一番アクセスのしやすい言語というのは英語なので、英語の持つ植民地主義的ルーツも気にならないわけではなりません。昨日もサロメの初演に行ってきたのですが、クイーンの没後数日ということで起立して黙祷があったり、God Save the Queenという歌を歌う場面があったりで、その植民地支配の歴史とその忘却を目撃せずにはいられないというか。
石原 : オペラにくる観客などを考えるとまさにそうだと思うのですが、イギリスという階級社会にいると、アートがものすごく特権的なものの歴史の上になりたっていることへの苦しみと嫌気というのは感じますよね。そうした君主制に加担しているような側面があるんじゃないか芸術は、というところまで考えてしまうというか。
増田: それは本当に共感するところで、私にとってその格差というのはイギリスに来て初めて目に入ったものでもあるんですよね。もちろん日本でも売れる人売れない人、絵画など室内にコレクションしやすい人の方が売れやすいといったような不均衡はあったのですが、これほど大きな資本の動きを目にしたのは初めてで。私の通っている大学院は特に、Royal College of Artという王室系の大学院なんです。そうすると、卒展にくる人たちも大部分が大きな資産を持ったコレクターの人で、作品をショッピングのために見に来るんですよね。「私はこんなことをするためにここに来たんじゃない」という強い拒絶とか、苦しみとか葛藤とか、それを見ていると様々な感情が湧いて来ます。
石原:イギリスは特に、出口が上流階級と労働階級で2つに別れているパブの建物がいまだに残っていたりして、階級差について考えずにはいられない土地ではありますよね。ドイツはちなみにどうでしょうか?
小林 : ドイツでは文脈がかなりバラバラに存在していて、”移民”、”エコロジー”、”クィア”とか、それぞれ独立しているように思います。特に今年はベルリンビエンナーレがあったのですが、大学の先生とかと話していても、今年のビエンナーレはドライだったと言われていて、各国の現状がさながらニュースかのように集められ使われているというような状況がありました。
増田 : それは各地域や各問題の代表がサンプリングされている、といったことでしょうか。
小林 : そうですね。なので既に各領域が完成されていて、そこに自分がどう入っていったらいいのか分からなくなります。
増田 : 私も今年ベルリンビエンナーレを見にいったんですが、アフリカの旧植民地支配やホロコースト、あとはベトナム戦争といったテーマに敏感に焦点が当てられているのを感じると同時に、それ以外のアジアからの作家がほとんど見られなかったことに違和感を持ちました。つまり、戦争犯罪などとてもシリアスな政治外交問題や、環境破壊についての警鐘をテーマとする作品が続々と並ぶなかで、自分自身がじゃあこの場で何が言えるのかということが分からなくなった展示会でもあって。石原さんは見に行かれましたか?
石原: 見ました。私はすごく正直なことをいうと”ずるいな”と展示全体に対する感想を抱いたんです。特に印象に残っていた作品に、展示場にポツンと砂時計とそのキャプションだけがあるものがあって。この世界にはコンセプチュアルアートというものがあるから、それだけでも作品の存在は許されると思ったのですが、キャプションを見ていくと作家の人生とか、歩んで来た道とかが詳細に書かれていたんです。グループ展だし出典作家も多いので、鑑賞者がそれだけを見て「あ、戦争があったんだ」とか感想を抱かざるを得ない状況を見ると、どうしても作品としての強度が薄いと思ってしまいました。例えば、戦争とか、アイデンティティとか、そういうものを免罪符にこんな展示をしてもいいのか、とも少し思ってしまって。特に今回のベルリンビエンナーレにおいては、政治とか大きなテーマに頼らずともできることがもっとあるのではないかと思いました。
増田: これはこのトークのディアスポラというテーマと切り離せない問題になってしまうかと思うのですが、全くバックグラウンドのことなる複数の人間が集まって/ もしくは集められて何かを一緒に形作るとき、その「相手を理解したい」という欲望が、どうしても短絡的に長いキャプションという形になってしまうことはあるのだと思います。ただやはり制作には常に時間制限があって、特にそれを前提知識が何もない人に伝えるためのパッケージングについても考えなければならないこともあり、そうした場面をどう回避するかというのは私が毎回制作で迷うことでもあるのですが。
石原 : そう、でも今回のトークのテーマを聞いた時1つだけ言わなきゃと思ったことがあって、それは私自身は自分をディアスポラだと今は言えない、思えないということなんです。それが私がイギリスと北九州に行って初めて分かったことで。今の私は財団からお金をもらって、機会を与えられて海外にいけている身だし、それはとても恵まれた特権だと思ったんです。これまではそれが全部自分の実力だと思っていたんですが、そうではないことに初めて気がつかされて。なんなら、日本で大学を出られることだってすごく特権的だし、美術をできることも特権的だし、その環境でその上留学までできている。私は日本に育って日本に暮らしていても、例えばお金がなくて海外で勉強できないとか、そういう事情でディアスポラであることもありうると思うのですが、自分はそうとは言えないと思いました。
増田 : それはとても重要な指摘だと思います。もちろん「ディアスポラ」という言葉が土地的な離散だけではなく、セクシュアリティーや弾圧や差別や様々なアイデンティティに関する事象について言及する言葉であるということは理解しつつ、 でも一方で、では誰が誰をディアスポラである/そうではないと決めるのか。特に、例えばアーティストであれば、自分の表現がどうしても自分のコミュニティから許容されないために居場所がないといった事情も考えうりますし、もちろんよりによって外側から他者の苦しみを断罪することは不可能であるという難しさがあると思います。自分自身に対する判断ですら難しいのではないでしょうか。
石原 : そうですね。もしかしたら私が自分のことがディアスポラだと思えないのは、ロンドンにいたときはロンドンが自分の居場所だと思ったし、北九州にいるときはそこが自分の居場所だと思える図々しさがあったからかもしれない、とか今聞いていて思いました。
増田 : それはすごい才能ですよ。
石原:ね。でも一方では海外に行けなかった時期の自分は、自分がずっと薄ら悲しい膜に覆われているような感覚があって、あの時の自分はディアスポラだったのかもしれません。