2024/07/23

2024/07/23

飯村一輝

飯村 一輝 Kazuki Iimura

フェンシングには3種目あり、中でも私が取り組んでいるフルーレは、一瞬のうちに繰り広げられる攻撃権の移動と素早い剣さばきが見どころです。相手の次の手を読み合う、選手間の駆け引きが魅力です。自身の強みは、一瞬で相手との距離を…

世界での活躍を目指し、ハードなトレーニングを積み重ねてきたスポーツ部門奨学生がパリ2024オリンピック日本代表選手に選出されました。競技やオリンピックにかける想いについて、奨学生がインタビューを実施しました。
 

飯村一輝
第52回生 スポーツ部門奨学生
慶應義塾大学

●出場種目
7月29日│フェンシング男子フルーレ個人
8月4日│フェンシング男子フルーレ団体

【インタビュアー:学術部門48回生  筧路加
ペンシルベニア大学卒業後、8月よりハーバード大学公衆衛生大学院在籍予定。パリ2024オリンピックでは、選手村にて1ヶ月間ボランティアを行う。高校時代と、東京オリンピックで近代五種のボランティアをしていた際にフェンシングに触れた。

ーーまずは、パリオリンピックへの出場決定、おめでとうございます。今どのような思いですか?

飯村:東京オリンピックでは、スパーリングパートナーとして事前合宿等に参加していました。出場する選手が目の前で試合をしているのに、自分は出られないという悔しさがすごくあって。そこからすぐにシフトチェンジをして、パリに向けてスタートダッシュを早く切りました。なので、パリが個人内定した時はすごく安堵というかよかったっていう感情だったり、やっと夢の舞台の切符をつかんだっていう達成感だったりを感じました。一方で、少しずつ試合が近づいてきてからは、期待に応えなきゃっていうプレッシャーだったり、緊張だったり、そういうのが相まっていて。二つの感情の中で葛藤していますね、今は。

ーー出場までの道のりをお伺いしたいと思います。小学校1年生の時から20歳の今まで競技を続けられていますが、フェンシングに臨む姿勢やプレースタイルにおいて、始めた頃から変わらなかった事・変わった事を教えてください。

飯村:変わらない部分は、自分のフェンシングスタイルです。これは父のコーチングスタイルと、父がコーチをしていた太田雄貴選手の影響が大きいです。太田選手はとてもスピーディーで、繊細だけどすごく速いです。自分は身長が170cmしかありませんが、小柄な体型を生かした速いスピードのフェンシングスタイルを小学校からずっと培って、各部門のタイトルをとってきました。

変わった事としては、モチベーションのあり方です。小学校の頃は練習に連れて行かれていた受け身な状態でした。でも全国大会等で勝てるようになり、海外遠征に派遣されて自分の実力次第の環境に置かれた時に、”あ、頑張りたいな”って。そこからポジティブに練習をとらえるようになれたのが、だいたい小学校六年生か中学生ぐらいの時で、日本代表にも選出されるようになりました。

パリ2024オリンピック フェンシング 男子フルーレ日本代表 飯村一輝選手

ーー飯村選手にとってのフェンシング、特にフルーレの魅力は?

飯村:迫力に加え、激しい刹那の瞬間に駆け引きが行われているところです。相手がこうするだろうと予想してそれを対処したり、相手の様子を見ながら動いたりという、一瞬のスポーツなのに駆け引きがすごくあるところが面白いですね。

ーー 昨年のフェンシング世界選手権での優勝をはじめ様々な大会で結果を残されていますが、結果を出し続ける強さというのは、ご自分のどういうところから来ていると思われますか?

飯村:中高の六年間で、自分がイメージしたこと・考えたことを体現化する練習をずっとしていました。スピード感や対処の方法などイメージしたことをその通りにやる練習を通して、考えたことをすぐに行動に移せる力を培いました。そのおかげで、大学で上京してからも質の高い練習の中で自分のイメージ通りのフェンシングをすることが出来ています。コーチからのアドバイスの中でこうしてみなさいとか、こういうディフェンスをしなさいと言われても、すぐにイメージができて行動ができるこの具現化能力が自分の強さです。

ーー日々の食事・遠征中の食事で心がけていることは?

飯村:日本での昼はナショナルトレーニングセンターでバランスの良い食事を摂ることができています。でも海外に行くと結構大変で… 遠征中は、栄養指導の方に食事の写真を送って、じゃあもう少しフルーツや野菜を摂ってみようなどアドバイスを頂いています。特に炭水化物を多く摂った方がいい日には、朝ごはんとして、日本から持ってきたご飯に湯煎でできる中華丼をかけて食べたり、ビタミン剤を補給したり、調整しながら頑張っています。選手村はおそらくバイキング形式なので色々な食事も楽しめるかなとは思いつつ、栄養も考えたいですね。

インタビュー中の様子

ーー過去のインタビューで、メンタルトレーニングについてお話しされていました。早くから日本代表の一員としてプレッシャーのかかる場面を多く経験されてきたと思いますが、メンタルを管理する上で心がけていることはありますか?

飯村:初めて日本代表の団体チームに入った時、僕は18歳でした。メンバー全員が僕より6・7歳上で。先輩の足を引っ張らないようにという意識が強くて、から回りしてしまうことが多かったんです。でもコーチや先輩に、”俺らがいるんだから”という背中を見せてもらって、”何も失うものはない。自由にやろう”というメンタルで臨めるようになりました。それからは、僕が引っ張っていくぐらいの気持ちで、雰囲気を変える起爆剤としての役割を担ってきました。

今までの僕は、未来や過去にとらわれてしまうあまり、全力でパフォーマンスを発揮できない状況に陥ってしまっていました。ですが、「過去も未来も、今を刻むことでしか生まれない」というのをメンタルトレーニングで先生に教わってからは、今できることを集中して全力でやる大切さに気づきました。それからは、自分のプレーがより明確になったとともに、気負いせずに戦えたり、メンタルを維持しながら自分の役割を果たしたりすることができるようになりました。

日頃のトレーニングでは、僕が今一番年下の状態で練習することがほとんどです。チームになった時には先輩たちの役に立ちたいし、先輩たちも僕に背中を見せないといけないという、先輩後輩の相乗効果が、僕がこの団体に入ってからは生まれたように感じています。選手権で金メダルも獲得できましたし、団体で勝てるようになったのはそのような心の持ち方のおかげでもあるのかなと思います。

ーー今までで一番記憶に残っている試合は?

飯村:世界選手権団体で優勝した時の七試合目ですね。中国の選手相手に、”絶対こうくるだろう”とビビッときて、それをうまく予想してかわせたのが印象的です。スローになったのを今でもすごく覚えていますね。
筧:いわゆるゾーンに入った状態でしたか?
飯村:そうですね。単純に説明すると、まっすぐ突きに行ったら相手はこう避けるんですよね。それを想定して、避けにきたのを抜いて突く動作なんですけど、相手の剣がこう避けないとこっち側が開かないんですよね。つまり、相手が避けてくれないと決まらない技なんです。結構博打的な技なんですけど、なぜかビビッときて出来ましたね。
筧:ゾーンに入る瞬間というのは、毎試合あるものなのでしょうか?
飯村:毎試合はなくて、ゾーンに入ったことを覚えているのはそれこそその一試合だけかな。その試合はメンタルトレーニングを始めて二ヶ月たった頃で、今を重ねることをすごく意識していた時でした。今今今今って考えていた時に、相手のやりたいことが見えたのを覚えているので、今を積み重ねることでゾーンに入りやすいのかなと思います。ゾーンに入ったらスローモーションに見えますし、自分のスピードが体感1.3倍ぐらいになりますね。

ーー飯村選手の注目すべき武器や強みは?

飯村:身長差・リーチの差をスピードで埋めていくのが僕の持ち味です。相手との距離を一瞬でゼロにしていきなり相手の懐に潜り込んでいく、スピーディーなプレースタイルに注目していただけると、フェンシングの面白さをより共有できると思います。
筧:なるほど。距離がゼロというのは、剣を通した距離でしょうか?
飯村:そうです。僕が団体で金メダルを取った世界選手権の個人のチャンピオンは、イタリアの選手で197cmあって、剣より手の方が長いです。自分が届かない距離で動かれると一生点数をとれないじゃないですか。そういう身長差を埋めるために、その距離をかわしながら一気に相手の懐に潜り込むのが僕の持ち味なので、そこに注目してもらえると嬉しいです。

時折大爆笑も起こりました

ーーコーチや仲間からかけられた印象的な言葉やエピソードは?

飯村:コーチからのアドバイスというと、「あの選手は下のコースが弱いから下に行け」のような具体的な話を想像されるかもしれませんが、僕の場合、「いつも通りフェンシングをしろ」とよく言われます。「いつも通りフェンシングができれば、お前は勝てるよ」とコーチに言われているようで、”ああ、認めてもらえているんだな”と実感します。自分のフェンシングをどの相手にもすることができれば、世界でトップになれる、通用する選手になるとコーチや仲間に思ってもらえているというのは、自分のフェンシングが認められたようで嬉しいですね。

ーーアドバイスつながりで、江副記念リクルート財団のホームページには座右の銘は「勝ちに不思議の勝ちあり 負けに不思議の負けなし」と書かれていましたが、どのような思いでこの言葉を選ばれましたか?

飯村:例えば格上の相手の調子が悪かった時など、たまたま勝つことはあっても、たまたま負けることはないと思います。自分の準備不足だったり、自分のフェンシングができなかったり、敗北には必ず理由があって。それを改善して、自分の中で咀嚼して落とし込んで、さらに高みを目指していこうと思っています。僕が早咲きのフェンサーだったので、たまたま勝つことがあったんですよ。世界ジュニアで金メダルを取って、シニアで3位に入ったりして。ラッキーが重なってたまたま勝つ経験もありましたが、負けには絶対に不思議な負けはありません。”原因をちゃんと考えろ”と自分に言い聞かせています。

ーー早くからご活躍されていますが、挫折で苦しんだ経験があれば、どうやって乗り越えられましたか?

飯村:世界ジュニアで金メダルをとりシニアで3位を獲得したのが、18歳の時でした。そこから”飯村は速い”という固定観念がフェンシング界にできてしまったんですよね。なので、僕がアタックでゼロにして加速する瞬間に、対策として相手も前に来るクラッシュのような状態が多くなってしまい、なかなか点数につながらない場面が増えました。そこから一気に勝てなくなって。飯村はこうすればいいという対策テンプレのようなものができてしまい、その一年間は本当に勝てなくなって苦しみました。それが一つの挫折でしたね。
乗り越えた方法として、加速する瞬間に相手に対策されていたのを逆手にとりました。フェイントによって加速する瞬間をわからなくして、相手が混乱している隙にそのまま詰めちゃうっていう。加速の瞬間をわからなくする方法を、様子を見ながら自分の中で落とし込めるようになったのは、一つの成長であり、挫折を乗り越えたきっかけになったと思います。
筧:あの一瞬の中に、そういった駆け引きが瞬間瞬間であるんですね。
飯村:今行くぞ、とか、やっぱり行かない、みたいな駆け引きがある中でああいうスピーディーな動きになっているのだと知ってもらえるだけで、フェンシングは何倍にも面白くなると思います。ルールはすごく複雑なんですけど、こういうことを選手が考えてやっているんだよ、こういう駆け引きがあるんだよっていうのを広めることができれば、もっと面白い世界になると思いますね。

フェンシングポーズをとって!という無茶振りにも笑って対応してくださる、優しい飯村選手でした

ーーパリオリンピックへの意気込みは?

飯村:個人団体ともに、”自分が金メダリストにふさわしいのかどうか”というのを、オリンピックに問いに行きたいなと思っています。具体的な目標は?と聞かれても、「金メダルを獲りに行きます」とはなるべく言わないようにしています。目標を自分で決めてしまうことによって、逆に限界を作ってしまっていると思うからです。最大限自分のパフォーマンスを発揮して、それが結果的に金メダルだったっていうのが、自分の中で結構いい形なのかなと思っています。
筧:なるほど、まさにいつも通りの結果が金メダルにつながるのですね。

ーー最後に、フェンシングを通して叶えたい夢や目標を教えてください。

飯村:これまでの人生の14/20をフェンシングに傾けてきました。子供たちが自分のプレーを見て、”あ、フェンシングやってみたい”とか、”フェンシング面白いな”と感じて、剣を握るきっかけになってくれたらすごく嬉しいです。誰かの人生の手助けができたという感覚にもなりますね。憧れられる選手を目指して、フェンシングを続けていきます。


【インタビューを終えて…】
競技に向かう姿勢や理念を自分の中で確立しているからこそ生まれる、ぶれない強さのようなものを感じました。特に、”今に集中する”というお話は、分野を超えて私にも深く刺さる内容でした。飯村選手のご活躍を同じパリの地から応援できること、幸運に思います。

フェンシングの奥深さと、飯村選手の魅力を知ることができた貴重な時間でした。

(取材日:2024年6月10日 文:学術部門 筧路加)


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