歩くということ
ベルリン中心部にある芸術大学(Universität der Küsnte Berlin)校舎の横には、Tiergarten(直訳すると「動物の庭」)という森がある。鳥や野ウサギ、運が良ければキツネにも出逢えるこの広い森を見つけたのは留学したての秋の初め。日本よりもいくらか早く吹く、つんとした香りのする肌寒い風に落ち葉が舞い、あたり一面紅葉で彩られた道を歩くと、長年夢見ていた海外生活がはじまった事が未だ信じられず、風の匂い、森のざわめき、遠くの教会の鐘、全てが夢の中の出来事のように感じた。
春先の学校の練習室。窓を開け放していると鳥の鳴き声が聴こえ、中庭にもウサギたちがやってくる。
以来、この場所は日々の心の拠り所になった。集中したい時、何かに行き詰った時。ヨーロッパ特有の、その日が終わってしまうのが寂しくなるような美しい天気の日。行き先も意味も無く、ひたすら目についた道をひとり、何時間も歩き続ける。
散歩は趣味になり、日課になった。
彩り溢れる秋の森。
人は、何度も歩いた道をいつか、完全に覚えてしまう。便利ではあるが、同時に少し哀しい事でもある。恐らく、人生の様々な出来事についても同じ事が言えるだろう。
新鮮な驚きや喜びだけを身にまとって生きていく事が出来たら、どれだけ楽しいだろうか。だけどそれでは、永遠に森を迷い、帰ってくる事ができない。
人生を歩む中で、新たな夢を見る事は時に難しい。無根拠な空想は経験に遮られ、表面的で分かりやすい形に書き換えられていく。徐々に失われる希望を尻目に、決められた道をただ歩んでいくしかないのだろうか、と感じる事もある。
留学をはじめて暫くして、ふと思ったこと。これほど明るい彩りに溢れた毎日は、永遠には続かないだろう。それは人生を歩む上では当たり前の事で、いつまでも夢だけを見ている訳にはいかないのかもしれない。
だからこそ、夢見るような音楽には永遠に憧れ続ける。
冬になると見渡す限り真っ白に。川も凍り、上でスケートなどを楽しむ人も。
素晴らしい音楽の中で、作曲家はいつも夢を見ている。
様々な試練が降り掛かる人生を歩む上で、時には森の中を歩き、そこに漂う夢の香りを嗅ぐ事は必要だろう。かつて、作曲家たちも運命が定めた道から少しの間逃げるために、どこか遠い森を創らざるを得なかったのかもしれない。音によって浮かび上がるその場所は、楽譜というスケッチのおかげで今でもどこかに存在し続け、我々はその森をいつでも歩く事ができるのだろう。
留学して初めてのドイツ国内でのリサイタル、Göttingen近郊の町Bad Karlshafenにて。本番前も散歩は欠かせない。
あれから3年が経とうとしている。日々、様々な表情を見せてくれる森を歩く事は、音楽に触れ夢をみることと、どこか似ている気もする。