学術部門奨学生の白井有樹です。2024年1月をもって、カリフォルニア大学ロサンゼルス校大学院にて、ロボット工学の博士号をもって無事卒業しました。今年6月にロサンゼルスにて卒業式を参加し、そこで学位証明書をもらうのが今から楽しみです。3月より、アメリカのマサチューセッツ州ケンブリッジにある、Mitsubishi Electric Research Laboratoriesにて、ポスドク研究員としてロボットの研究開発に勤しんでおります。 今回の卒業レポートにて、自分の博士課程の研究や、留学を通して学べたこと、そして、自分の所感を、書かせていただきます。
博士研究について
自分の博士課程として、主に、ロボットアームを用いてモノ(箱、ペットボトル、歯車など)を自由自在に動作させるマニピュレーションの研究と、崖登りロボットのロコモーションにフォーカスを置いた研究を約5年半ほど行いました。この二つに共通するのは、ロボットやモノが、周辺環境との接触を頻繁に行うことです。モノをつかむ際に、モノのどの場所を、どの指で、どのような力で、といったマニピュレーションの研究から、足をどのタイミングで移動させて、どのような力で地面をつかむといったロコモーションの研究も、両方ともこの周辺環境とのインタラクションを考慮した研究を行いました。特に、最適化問題という手法を用いることで、ロボットを安全に、かつパフォーマンス高く、複雑なロボットクライミングから、ツール(ねじ回し、ボールペンなど)を利用してモノを操作するといった研究に携わることができました。自分なりにある程度の貢献を分野にすることができたと思います。理論的な研究から、ロボットの開発の論文まで多くに携わることができました。また、ラボにて、新しいロボットをゼロから研究開発することができ、そこで学生リーダーとして貢献できたのは、本当に良い経験でした。また、数多くの学会で研究発表をする機会に恵まれ、とても良い機会を頂きました。
また、博士課程を通して、Mitsubishi Electric Research LaboratoriesとBoston Dynamics Ai Instituteにて長期のインターンシップを行い、博士課程5年半のうち、計一年間ほどフルタイムで企業研究所にてインターンシップを行うことができました。これは非常に自分にとって大きな価値でした。というのも、企業の研究が見れたこと、企業でどのように開発を行っていくかといったことを学ぶことができました。また、自分の人脈もインターンシップを通してかなり広げることができ、今では学会にいくと多くの知り合いと、久々!、といったようなお話ができ、これは本当に価値があったと思います。
留学を通して学んだこと
留学を通して学んだことは、研究能力、英語でのディスカッション能力、物事をどう穏便にしながら自分の言いたいことをいう能力、など数多くのことを学ぶことができました。特にその中で、リスク回避しつつ、如何に研究で、楽観的に、成果を出すかということを学ぶことができました。研究というのは、特にアメリカに来て最初のことは、成果を出すので精一杯でした。指導教官の期待に応える、指導教官から授業料などの支援をもらうためです。なのでどうしても研究に対して100パーセント楽しんで取り組むことができませんでした。解決策として、最低限の安全策を取ったうえで、研究に行うということです。最悪プランBがあるから、この通りやれば、最悪最低限の成果で論文を出すことができる、といった具合です。このようにすることで精神衛生が良くなり、結果的に研究でより良い成果が出やすくなりました。また、ノートに自分の悩みなどを書くことはとても良いです。そうすることで、脳の悩みに割いているキャッシュメモリを消去し、自分のやるべきことに集中できます。
また、留学ということで、日本にいるだけでは会うことができない、本当に多種多様な方と会うことができました。TwitterやSpaceX、Boston Dynamics、Disneyなど、それぞれにおいて、一流な企業の人と会うことができ、大変刺激的でした。また、日本から留学している、分野が違う優秀な方とも沢山会うことができ、そのような人たちと夜遅くまで色々語り合ったのは、とても貴重な経験となりました。
思い通りに行かないこと
こうして書いてみると、アメリカでの研究博士課程は順風満帆に思えるかもしれません。しかし、要所要所にて、大変なことも沢山ありました。
例えば、まずUCLAに入学してから、指導教官から、Fundingできるかどうかわからないと、すごく軽く言われました。これは自分の中で大事で、アメリカで自費で博士課程をやるのはものすごくお金がかかるため、大変でした。自分の場合は結局江副記念リクルート財団から支援を頂くことができたため、難を逃れました。リスク回避のために、UCLAの他の研究室へ万が一移行するための研究をしたり、所属している研究室と、UCLAの他の研究室での研究の同時並行などといった、ものすごく大変なこともありました。また、最初の研究は全くうまくいかず、その中で、幸運なことに、研究室の先輩に深夜まで一緒に研究をしてもらったことも何回もありました。また、論文の著者の順番や、学会への参加の交渉など、大変なことはいくつもありました。コロナ禍では人と半年以上対面で会わずに研究をロサンゼルスのStudioで行っていました。さらには就活をいくつもの会社と同時並行しながら、自分の行きたい会社とのタイムラインを考慮して、どのように就活すれば角が立たないか、などいろいろなことに対して対処する必要がありました。
このような要所要所にて助けてもらったのは、指導教官やUCLAの研究室の学生、日本の家族や友人もありますが、特に、財団で知り合った、もしくは財団の奨学生経由で紹介してもらった、同じアメリカで苦労している学生の方々でした。同じような境遇だったため、悩みもすごくよく聞いてもらい、本当にありがたかったです。また、就職相談や研究の相談もでき、江副記念リクルート財団に支援していただけたのは本当に幸運だと思いました。
終わりに
アメリカに来るときは、これから5年ほどアメリカで研究留学で長いと思っていましたが、いざ博士課程を終えてみると、本当にあっという間でした。結局のところ、どの分野やどの場所においても、近道せず、堅実にひたむきにやるべきことをやるのが一番重要で、これを博士課程を通して学ぶことができました。
最後となりますが、江副記念リクルート財団のご支援に本当に感謝しております。博士課程において、約3年間の長い間、財団に授業料や生活費を支援していただいたのは、本当にありがたかったです。これによって自分のやるべきことに集中して取り組むことができました。今後も財団の期待に応えられるように、精一杯努力していきたいと思います。