ーー田久保さんの東京からスタンフォード大学に至るまでのキャリアは非常にユニークですね。これまでの経歴についてお聞かせください。
現在スタンフォード大学にて、航空宇宙工学の博士課程に在籍(2023年秋~)しています。東京生まれ・育ち(海外在住経験無し)で、日本の高校を卒業後、東京大学理科一類に半年在籍し、2019年の秋から2023年の春までアトランタのジョージア工科大学(航空宇宙工学)に在籍し、学士号を取得しました。ジョージア工科大学の3年目には、スペインのマドリードに一学期間更に留学をしました。また、2022年の夏にはNASAジェット推進研究所(JPL)の門を叩き、本奨学金を研究グラントとしてNASAに持ち込むことで3か月客員研究員として受け入れをしてもらいました。これを機に、2023年の夏(学部卒業後、院入学前)にはJPL Graduate FellowshipというNASAからのフェローシップを獲得し、今年の秋に打ち上げ予定の木星氷衛星探査機エウロパ・クリッパーのミッション設計に携わりました。
ーー現在、具体的にどのようなことを学んでいらっしゃいますか?また、その分野を目指したきっかけは何だったのでしょうか?
専門領域は宇宙工学と最適化です。今後より多くの物資・情報が宇宙に運搬される(そして地球上に降りてくる)ようになる時代の中で、宇宙空間内での大規模インフラを設計することに興味を持っています。それを踏まえ、長期的な宇宙ミッションを行う上でのサプライチェーンの配送計画の最適化、軌道力学(宇宙空間での物体の力学)、そして最近では宇宙機の編隊飛行のための自律航行(自動運転)に関する意思決定の研究をしています。大学院では、物体の動きの制御に関する理論や、最適化、軌道力学などの授業を受けています。
宇宙への憧れは自分が覚えていないほどの時期から持っており、特にスペースシャトルに一目惚れして幼い頃から宇宙飛行士になりたいと思っていました。高校まで(今でも?)得意教科はずっと国語と社会だったのですが、宇宙が好きという一点で理系に進み、苦手だった(高校)数学と物理の分野で博士まで来てしまいました(笑)。
ーー海外大学への進学を意識し始めたのはいつ頃だったのでしょうか?また、その目標に向けてどのような準備をされましたか?
前述したとおりの宇宙の情熱は、自然と「NASAに行って宇宙機を作りたいなあ」という気持ちになっていき、それならやはりアメリカに行くのかなという意識は中学入学時あたりで醸成されていたように覚えています。元々幼い頃に英会話をやっていたこともあり、当時多少英語が得意だったので、学部で海外大学を受験する(東大と併願する)ことは中1の終わりごろには決めていたと思います。
学部受験は課外活動や受賞歴などを受験書類に列挙し、多様なことにチャレンジできる人材を求めている傾向があります。中高時代には僕も物理/哲学オリンピックに挑戦したり、インカレサークルでロケット開発をしていたりもしましたが、同時に中高でしか経験できないことをないがしろにしてまで実績を打算的に作りに行く気はなく、中高6年間バスケ部が第一優先、そして文化祭も高3までやりこむことは強く心に決めて出願準備をしました。結果として(スタンフォードを含む)第一志望校達には手が届かなかったですが、楽しい中高時代を過ごせたなと今でも思っています。
ーー大学院進学を決める際、田久保さんが特に重視されたポイントは何でしたか?また、進学に向けてどのような準備をされましたか?
学部受験と対照的に、大学院受験はAdmission Officeに伝えるメッセージはシンプルで、「自分が卓越した研究をできるポテンシャルがある」ということをどうやって示すかをシステマチックに学部生活を通して作っていくものだと思います。学部の頃の研究などを通して、(学部受験に比べて)比較的再現性が高い受験ができると個人的には思っています。
大学院を選ぶ際に一番重要視したのは人間関係な気がします。(元も子もないことは言いたくないですが)最後は指導教官とラボメイトと話したときに、自分がここで数年間研究をすることにしっくりくる感じがあるかどうかが重要だと思っています。逆に、勿論ラボごとに行っている研究の毛色は少しずつ異なってくるものの、3年後の自分の興味などは全く予想できないので、研究の興味のマッチを追い求めすぎると「あれ、思っていたのと違う」ということになりかねないかもと思います。なので、後輩にアドバイスするときは(大まかな研究領域が合っていることは勿論前提として)、「面接のときに一番話が盛り上がった教授のところが良いんじゃない?」と言っています。
ーーリクルートスカラシップへの応募を決めた理由について教えていただけますか?この奨学金の特徴が、田久保さんの目標にどのように合致していたのでしょうか?
リクルートスカラシップが「学部・博士一貫」(27歳になる年度まで)で学術部門の学生を支援する奨学金であることは強い応募動機でした。特にアメリカでの宇宙開発は国防に関わる観点から外国籍の参入が非常に難しく、外国人はPh.D.が無いと基本的にスタートラインに立てません(そもそも外国籍の人は基本的に履歴書を受け取ってすらもらえません)。このため、学部進学を決意した当初から自分の留学が博士取得まで10年近いプロジェクトになることは想定しており、この点で本奨学金で学部のうちから支援を頂けていることは、自分が意義があると思う研究に集中する環境を作るうえでの基盤になっています。
因みにですが、僕は高校3年次に応募したときは書類審査で落ち、翌年の2度目の応募で(学部2年次から)奨学生に選んでいただきました。(奨学金に限らずですが)応募倍率が特に高い選考では、淡々と挑戦し続けることが非常に重要だと思っています。
ーーリクルートスカラシップの更新審査に向けて、毎年どのような準備をされていますか?また、これまでの面接で特に印象に残っているエピソードがあれば、教えてください。
更新審査に際して毎年かなりの量の振り返りを書くのですが、自分の考えていることをまとめて選考委員の方たちに宣言する、楔として機能しているように感じます。財団加入時から変わらない大きな物語と、変わっていく小さな物語をどう説明するか、ということを考えながら書類を書いています。(実際に何が評価されているのかは分からないですが)中・長期的なゴールにたどり着くためにどのような短期的な成果が必要かという仮説を出し、その仮説を一年でどう検証したか(勿論うまく行かないこともあります、研究の世界ではうまく行かないことの方が多いかもしれません)、という仮説・論証のプロセスを提示するのが大事なのかなと思っています。
一方で、昨年の更新審査で「今年も色々楽しそうですね」と選考委員の先生に言っていただいたのが良く印象に残っています。ワクワクできることは自分で作るものだと思っているので、この点を毎年言っていただけるのは嬉しく思っています。
ーー財団生として様々な交流やイベントに参加されたと思いますが、特に印象に残っている経験や、財団生であることのメリットについてお聞かせください。
まず、私が江副記念リクルート財団生になった年(コロナ禍前)に、事務局の方達の現地訪問を兼ねて宇宙系の学生がロサンゼルスで集まる会を企画していただき、アトランタからLAに招待して頂きました。そこでできた繋がりから、頻繁に連絡を取り合う仲になった(今でもアドバイスを貰う)先輩たちが何人もおり、対面で交流を深めることの大事さを身に染みて感じました。
また、2020年には東京オリンピック企画ということで、セーリングの小泉さんのインタビューをさせていただきました。実際にアスリートの日常を聞くのは勿論のことですが、インタビューまでは詳しくなかった49er級のセーリングを観戦するきっかけにもなりました。
先日の財団交流会でも、アート部門の蔵内君と読んでいる本・思想の毛色が近いねと盛り上がり、分野を超えて貫通する何かを見に行けるチャンスになっていると感じています。
このように財団コミュニティの中で、さもなくば巡り合うことができない世界に触れる機会になっていると感じるイベントが毎年様々な形で開催されており、自分の研究を磨くだけでなく、人生に幅を持たせてもらえる良い機会になっていると思います。
ーー大学院でどのような目標を達成したいとお考えですか?また、その先のキャリアプランについて、宇宙開発分野でどのような貢献をしたいですか?
大学院では専門的な知識を身に着けて人類の知を押し広げるのと同時に、スタンフォードの地の利を活かして、宇宙開発に必要な技術以外の知見(安全保障、スタートアップへの投資、法律など)も吸収したいと思っています。Ph.D.は技術「しか」分からないと思われがちです。しかしエンジニアに留まるのではなく、論文を読みこなし、新たな論文を生み出す能力を携えて、どこまで大きなミッション、そして政策レベルの意思決定に関わりに行くことができるのかが非常に重要だと思っています。それが実現できるのが産業界なのか公的機関なのかは見定めている所ですが、技術と人々の暮らしを繋げることに貢献できればと思っています。
(我々に近い)宇宙はここから数十年で急速に我々の経済圏に取り込まれていきます。今や一日10万便が飛ぶ旅客機も、100年前は命知らずしか乗れない乗り物だったはずです。キャリアを通して、楽観的すぎるほどに宇宙への人類全体での進出を目指していきたいと思います。
2025年度リクルートスカラシップ学術部門エントリー受付中(締切:2024年9月17日)
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