アーティストは自分の生き様 – 成田久(1)

アーティストインタビュー by キュレーター高校生

びゅー VIEW ビュー展「人生100年時代」を担当するアーティストは、成田久さん。資生堂のクリエイティブ本部に所属して広告等を製作しているかたわら、自らアーティストとしての活動を続けています。そんな成田さんに、キュレーター高校生からインタビューしました。
2回に分けてお伝えします。第1回は、これまでの道のり、そしてどんなことを日々考えているのか!?

インタビューされた人:成田久(通称キューさん)
インタビューした人:緒方希・武田真由子・三枝響子(キュレーター高校生)、関芙佐子(スペシャリスト・通称ちゃこさん)、菅沼比呂志(アドバイザー)

――成田さんがアーティストになりたいと思った理由はなんですか?

シンプルに、カッコイイと思ったから(笑)

――こうなりたい人が誰かいたのですか?

なりたい人?うーん…。ちょっと変ですけど、アンドリュー・ワイエスとか好き。…全然違いますよね。
やっぱり、衝撃的に、ほんとに打ちのめされたのは、野田秀樹。演劇の方で、ひびのこづえさんを初めて観て。ちっちゃい時は、いわさきちひろさんとか好きだったけどなあ。

――美大に行こうと思ったきっかけとかは?

シンプルに親が、僕が幼稚園の時くらいかな。幼稚園のお絵かき教室に連れられて行ったのがきっかけかな。お母さんが美術好きだったから、家に画集とかいっぱいあった。
それで、そろばん習うみたいにしてお絵かき教室に入った。でも、もともと好きだったのかな。その後、小学校で凄い先生にお会いして、美術だけ成績が5だったからスタート!
中学校では、美術だけじゃなくて勉強とかスポーツとか…すごい強いバスケットの部活に入ってたんですよ。勉強も好きで…勉強というか、僕ね、1番が好きなんですよね!(笑)

緒方希(左)、成田久(右)

――1番が好き!(笑)

でもそこからまだ色々あって。高校に入ると、僕ちっちゃいですからバスケットの部活やめちゃって、暇だったんですよね。勉強もしてた上で暇だったんで、親がまずいなと思って。僕に熱量があるから、「本気で美術系の大学に行くなら、美術予備校があるわよ」って言ってくれた。普通あんまり、美大に行くことを薦める親って居ないと思うんだけど(笑)。そう言われて、「そうそう美術だったんだよね」って思い出して、高二から本気で美大目指しはじめたんだよね。

――なるほど…。

「何かになる」って言うよりかは、まだ決めてないけど何かを作る人になりたい、と思ってました。人生は分かりませんね(笑)やってみると楽しくなっちゃうから、諦めたことがあんまりないかも。

――カッコイイと思っていた人はいますか?

まだ高校生だったから世界も狭いから、一世代上の日比野さんとかかなあ。あと僕、コンペティションとかもすごく見ていて。高校生のときには先のことばっかり見てたところがあったよね。いわゆる、美大に行った後どうするかとか。広告代理店とかに行くとかいうことではなく。
あ、でも秋元康さんは好きだった。メディアを作るような人たちには結構興味があった。糸井重里さんとかも。
僕、すっごい好きなテレビがあって。NHKの3チャンネル(今のEテレ)でかかってた「YOU」っていう番組。座談会をやる番組で、糸井さんとか、日比野さんとか、あと鶴瓶さんとかも司会されてた。その番組が大好きで、それに出たかった。(笑)
ディスカッションとかがすごく好きで、その時代を作るような人たちを見て、こういう仕事したいなっていうのは思ってたかな。

――なるほど。

作る人にはなりたかったけど、何を作る人になるのかとかは全然まだ漠然とはしてたかな。どのカテゴリーに行くのかは分かってなかった。今も分かってないけど(笑)

三枝響子(左)

――美大の受験って、大変ですよね。

もうすごい!思い出したくないくらい嫌!(笑)
六年間も勉強してて、僕1番が大好きだから努力はするんだけどね。普通の勉強と全然違って、暗記とかじゃなくて、ものの見方とか絵の描き方を理解しないとだめなんですよ。根本的なところ。デッサンだと奥行きとかそういう。僕はそれがすっごく見えなくて、すごい苦労しましたね。今でももうトラウマ(笑)

ただその反面、僕は平面構成とか立体構成とか、一回自分の中に入れる、アイデアを自分の中に入れるっていうのはすごく強かったの。
平面構成の、「三角形と丸と線を、この紙の画面に構成しなさい」みたいな課題が超好きで。色見本がいっぱいあると選べない人がいるんだけど、僕は色で困ったことは一回もなくて、もう大好き。本当大好きだから、すごく色感がいいとか言われてもあんまり分かんなくて、遊びだった。

で、美大の受験って順位が、本当カッチリつくんだよ。ランキングがついちゃう。いわゆる、エリートか、敗者かどっちかって感じ。受験のときはこれが当たり前だから、メンタルもすごく鍛えられる。なおかつ美大受験は、高三から浪人生まで関係なくいるから、年齢も、男女も全然関係ないし、上手いか下手か、センスがいいか悪いかみたいになるので、面白い半分、すごいシビアでしたね。

でもそこでがんばって入らないと、先行きがないっていうか、自分のやって行きたい方向性にはならないのかな、と思ったので。でもまさか、高二からはじめて四浪するとは思ってなかったな(笑)でもその面、すっごい強くなったと思う。あと、余計人のことを気にしなくなった。

やっぱりそのときがあったから、今があるって思うな。欲しいものを一番前で欲しいっていうとか。パワーとか忍耐とか体力とか…。だから正直欲しいグランプリとかも狙って穫りに行く。急には穫れないと思うから、ちょっとずつ、とりあえず出してみる。でも意外と、学生のときの早いうちから賞をいただいたりしていた。でも、賞を取るために作ってるんじゃなくて、自分の作品を作ってたうえで出してたから、それはよかったと思う。僕はもう、作品のスタイルを予備校の時代から持っちゃってて、そのまま今も大人になって作ってるところもあったり。

予備校時代は、アイドルと同じって訳じゃないけど下積みがあって、その下積みの経験をさせてもらったって感じかな。パッと売れたわけではないし。いやまあ売れてるのかどうかわからないけど(笑)

武田真由子(中央)

――受験を始めようと思ったころと終わったときでは、やっぱり全然違う人という感じですか?

まず強くなったよね。可愛げなんてなくなってたし。どうなんだろう。藝大には結局いけなかったんだけど、藝大一本っていう時期もあったから、…バカだよね。高校生だったから、予備校の先生に洗脳もされちゃうし。藝大行きたい!一番すごい学校行きたい!みたいになってたから、学校というより藝大というネームバリューに憧れちゃってた。それで結局藝大落ちちゃって、多摩美の染織に行ってから、絵は描いてたけどあえて素材の方に行って、そこで違うドアを開いたりもしてた。でも、学校では本当に一番年齢が上だと思ってたから、いい意味で学校を仕切ろうと思ってた(笑)

――番長みたいな(笑)

番長っていうか、自分が一番上だし、この学校を盛り上げようっていうのがすごいあって、事実盛り上げた。当時仲のよかった友達も今第一線で活躍してたり…。面白かったですよ。大学は面白かった。めっちゃ面白かった。めっちゃ面白かったし、めっちゃ忙しかった。もうなんか、学費も高いから、めっちゃ学校を使い切った。でも、学校の課題もちゃんとやってたけど、課外活動をガンガンやってたから、学校と自分の作品は分けて考えてた。学ぶことと表現することは違うわけではないんだけど、また違うので。テキスタイルの課題をしながら、自分の表現もセルフプロデュースもばんばんやってたね。

響子ちゃんも希くんも、学校の方でいろいろ考えてやってみたらいいと思うよ。というか、やりたいものには何でもなれると思って生きてきてるから。叶うと思いますよ。
あきらめない。みんな大体諦めてるからさ。僕、大学の講義でも、「みんなやめてもいいよー!」とか言っちゃってるから(笑)「やめてやめて!やめたら後全部僕がやっとくから!」みたいな(笑)
別に十代でも二十代でも、四十代でも諦めないから人生がどんどん変わっていくので。面白いですよ。今が一番おもしろいです。

――キューさんの人生が、とてもいいなあと思います。

いやいやいや!でもこれでもいっぱいいろんなことがあったし、40歳になるまで嫉妬とかもすごいするからね。今もするけど。なんか嫉妬とか全然しないようなマイペースな人だと思われてるみたいだけど、すごいあるから、今の自分はどうなんだろう、っていつも考えちゃうし。でも40になったときに、いい意味で自分をちゃんと認めなきゃな、って思った。「しょうがないじゃん、きゃりーぱみゅぱみゅ好きなんだもん!」とか、「クールなデザイナーにはなれない」とか。

自分の方向性はどこにあるんだろう?とか思ってたこともやっぱりあったんだけど、それはおいといて、自分がドキドキするものがいいなあ、と。まあ何でもやりたいですけどね。この仕事はじめて、自分がアーティストをしているだけではできなかったようなことが、クリエイションデザイナーっていう仕事を全然知らないまま始めたときに、違うドアがガンガン開いていくなあってことがありますね。

まあ、人生は選択していかないといけないから、資生堂に受かってしまったときも本当に行くかどうか迷って。人事部にどうします?ってぎりぎりまで言われたし。内定式までいかなかったから(笑)
でも、小学校のときからと同じで、がんばれば新しい楽しいドアが開くって思っちゃったから、今もその続きで、やっちゃってる感じです。

――キューさんの中で、作品に一貫したテーマはありますか?

菅沼比呂志

一貫したテーマというか、テーマを重んじて作品を作るのが好き。今回は、この財団のプロジェクトで、ちゃこさんの社会問題があり、高校生たちの未来があり、キュレーションがあり…。そういう中で、自分がどういうものを作るか。
あんまり、なんとなくで作品を作ることはしなくて。今度、森岡書店でやるのは、書店なんで書籍があって、ならこうしてみよう、この人を入れてみたい、と。なんか、立体的に考えるのが好きで。なんとなく、というよりはテーマをちゃんと決めて作るのが好き。ストーリーを考えるのが好きかな。
あとはなんだろう、ネガティブを考えて作品を作るのではない感じ。ポジティブかなあ。

――これまでの作品の中で、お気に入りを一つか二つあげるとしたら?

京都のギャラリーギャラリーっていうところで企画展があったんですね。テキスタイル専門のギャラリーなんですけど。そこでオーナーの川島さんからお話をいただいて。京都で現代アートのフェアをやっていて、うちの顔としてやってくれないか、というお話になりました。

そのとき、前からやってみたかったんですけど、着物でコスチュームを作る、っていうのがやってみたかったんです。で、その着物も、新しい着物じゃなくて、いろんな人が着てきた着物を集めたビッグコスチュームみたいなものを作りたいなって思ってて。作品を見せる場所って言うのをすごく気にしていたので、僕はインスタレーションとか、どういう場所でどういう時期に見せるかを考えるのが好きなので、京都でお話をいただいたときに、今だ、と思いました。『衣殖』っていう作品で、「衣」を「殖」え付けるという意味なんですけど、昔いろんな人が着た着物を集めて、一度全部を分解して、自分が再構成するっていうのをやりたかった。

その作品はすごく自分のキーになってて。その後銀座にも展示したんだけど、その作品だけを見て、展覧会に出品していただきたいという人もいて。作品が一人歩きしていたので、それはすごくいいことで、女優の檀れいさんにそれを着ていただいたりとか、台湾にも持っていったりとか。自分のパーソナリティではなくて、その作