自由意志というものが存在しないという驚きの仮説

著者:妹尾武治(九州大学大学院 デザイン人間科学部門 知覚心理学講座 准教授)

 

 

簡単な実験を皆さんと一緒にやってみたい。今、右手を自分の好きなタイミングで上げてみて欲しい。今すぐに上げても良いし、20秒後でも良い。とにかく好きなタイミングで、右手を上げてみて欲しい。

 

はい。そこまで。

 

さて、今皆さんが手を挙げたのは、自分の意志に従ってあげたと考えて良いだろうか?もちろん、私が、皆さんにそうするように頼んだのではあるけれども、手を挙げたくなければ、あげなくても良かった中で、手を敢えて上げた皆さんは、自分の意志で手を上げたと考えて良いだろう。皆さんは自分の意志で手を上げた、とそう思っている。だが、本当に私たちは、意志を持っているのだろうか?自分の行動を自分の意志で制御する。このことを、科学用語では「我々には行動に対して自由意志がある」と言う。だがしかし、本当に私たちは「自由意志」を持ち得るのだろうか?

 

意志について、一つおかしな矛盾がある。今皆さんは、右手をあげるという意志を持ったと言う。そうなると、その右手を上げる意志を持つ前に、その意志を持とう、という意志を持ったことになる。さらに、その意志を持とう、という意志を持とう、と言う意志を、その前に持たねばならない。さらにその意志を持とう、と言う意志を持とう、と言う意志を持とう、という意志を…、と言った具合になってしまう。意志を持つために意志を持つ必要があるのである。そうならば、意志を持つというその主体は、無限に後退して行ってしまうのである。意志を持つ主体はいつまでたっても見つからないのだ。つまり「意志を持つ」ということ自体が矛盾をはらんでいるのだ。

 

もう一つ、意志についてのおかしな矛盾の実験をしてみよう。今、右手を実際には上げずに、右手をあげる意志だけを 持って欲しい。さて、そんなことは可能だろうか?「出来るよ!」という人には、「それは本当に意志を持ったと言えるものですか?」と聞いてみたい。実際の行動を伴わずに、右手をあげる意志だけを持つことは、非常に難しい。このようなシンプルなデモンストレーションからも、意志というものが、実は曖昧模糊で不思議な存在であることがわかるだろう。

 

「それは詭弁ではないか?言葉遊びで読者を騙しているのではないか?」

 

さて、本当に詭弁だろうか?皆さんよく考えてみて欲しい。最終的には、答えは皆さんが決めれば良いことだ。

 

人間には自由意志など無く、全ては事前に決定されていた事であるというこの驚きの仮説を読者の皆さんはどう感じるだろうか?落ち葉がはらはらと落ちる際、その落ち葉は自分で落ちようと思って落ちているわけではない。オジギソウに触れると、御辞儀するような動きをするのは、オジギソウがお辞儀をしたいと思っているからではないことを我々は知っている。あなたがこの文章を読んでいるのは、果たしてあなた自身の自由意志なのだろうか?ただ環境の働きかけによって、あなたが無意識のうちに操られているだけ、とは考えられないだろうか?

 

雲は自由に形を変える。季節ごとに積乱雲や鰯雲と言った具合に、人の心のように様々な様相を見せる。しかし、それらは、全世界的な海水温、気温、偏西風などの様々な物理的な要因によって、自然に決まってくるものであり、雲自身が自分でその形を作りたいと思っているわけではない。様々な環境要因の相互作用の帰結で雲の形が決まるのである。人間の心も様々な環境要因の帰結で必然的に決まるのではないだろうか?最新科学では、コンピュータシミュレーションで、年間の雲の様子を非常に正確に予測する事が可能になっている。人間の心には、雲以上に複雑で数の多い要素が関わっている。しかし、いつの日か人間の心も、その人間を取り巻く環境要因を全て網羅してコンピュータに入れ込めば、全ての行動が予想されるように、なりはしないだろうか?私は、そのような日が来るかもしれないと本気で思っている。

 

テーマの一つが、「心理学、実験中!」。

心理学とは、人の心を明らかにすること。 現実世界とバーチャルな世界、主観世界と物理世界、生と死。 私たちはこれらの対極的な世界の狭間、 二つが作る「渚」をさまよいながら行き来する冒険者だと言えます。 この世界はどうやって出来てきたのか? この世の面白さを、アートとあなたの心を通して見ていきます。

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